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□□ ヨーロッパ4カ国 旅行記

 5日目 スイス連峰〜フランスへ。フランス、市内観光。 


フランスへ。ここはスイスからリヨンまで、ヨーロッパの新幹線、TGVに乗りました。
TGVは乗ってみたい電車だったので、嬉しくなりました。

内装は、ちょっと豪華なバスをひろげてみました、という感じのつくり。 床にはじゅうたん、窓はあかなかったけど、かなり大きなもので、席は、当時、日本では珍しい、車両の真ん中から、席が逆を向いている(進行方向とは逆)タイプのものでした。

さらに、各席も自由にまわすことが出来て、乗客が勝手に席をボックス席にすることも可能でした。

おもしろーい、と、私はしばらく逆向きで座っていましたが。
なんか居心地が悪くなってきて、もとの進行方向側に戻しました。スイスからの風景は、非常にのどかな田園風景。途中、牛をみたりして、スイスとフランスの国境を越え、穏やかな丘陵地帯を満喫。あんまりのどかな風景が続くので、途中で、寝ました。

写真は、オペラ座周辺の銅像(だったはず)。



そしてついに、フランスは、リヨン駅へ!
はじめてみる、外国の駅に、感動しました。 そして市内観光へ。
といっても、パリ郊外についたせいか、先に郊外の観光が待っていました。

ベルサイユ宮殿。行列がすごかった。20年前から、これはあまり、変わっていないみたいですね。

中へ入って、主要なところを写真でとり、あまりの人ごみに押されてブレてしまいました。いつもこんなかんじらしい。



ここで驚いたのは、剣の間。
200平米くらいある部屋に、剣だけの間があったこと。

ベルサイユは、壁一面に、彫刻や絵画があり、その多さだけでも圧倒されるのですが、ここはいかにも男性の間、という感じが面白かった。

この間の入り口には、ナポレオンのアルプス越えの絵が飾ってあり、カッコイイ部屋でした。
写真に撮ったけど、ブレた。

写真は、鏡の回廊の手前にある、シャンデリア。
ここは、戦争の間。


ベルサイユを出て、宮殿の裏手の庭も観光。
ラトナの泉水など、広く整備された庭は、歩いているだけで気持ちがよかった。人は多かったけど。

ラトナの噴水。



マリーアントワネットのベッド。天蓋つきです。

内部は、王の中庭(ベルサイユ入り口)から入って、礼拝堂の穹窿(きゅうりゅう)、ヘラクレスの間、アポロンの間などを通り、外へ出ました。


オレンジ園です。

そして、いよいよパリ市内へ! 車窓見学で、オペラ座などを見回った後、エッフェル塔へ。が、バスを出たとたんに、激しいスコールが。

傘をさしてエッフェル塔の前にいったのですが、写真を撮って、とっととバスへ戻りました。この時のスコールは人生初体験。


ほんの10分くらいで日が差してきて。


次のノートルダム寺院では、余裕な天気になりました。ですが。10年後もここにきているんですが、ノートルダム寺院の前は、ぜんぜんかわってません。
バスだらけで大混雑。
しかも来ている観光客のほとんどが日本人。
この時も凄かったけど、2度目ももっと凄かった! 

ノートルダムは、ステンドグラスが非常に美しいことで有名で、そのステンドグラス目当てで大挙して観光客がやってくる。たしかにキレイです。が、初回も2度目も、ここはあまりの人の多さに、辟易しました。

写真は、オペラ座。初めて来たときは、ここで右折してしまったので、コレが限界でした。2度目も、止まってくれなかった。なんで?(つきあたりです)


ほかは、凱旋門・モンマルトル。
同行者がここで、財布をすられたと思いこんだために、ちょっとした騒ぎに。が、勘違いですんで、よかったよかった。

ココの写真は、あまりに人が多くて。あんまり残っていない。


この日は、夕方からバトー・ムーシュに乗り、ここで夕食になりました。

夕食がついているものとそうではないものがあるようですが、遊覧船でさらに豪華フランス料理フルコース、なんて生まれて初めて。
さらに食事が出てくる前に、テーブルについたときに。
ランチョンマットに、パリ全域の地図が。しかも立体。

ルーブル美術館などは、その建物が立体的に描かれ、絵としても、充分価値がありそうなもの。食べながら、じーっとその地図に見入っていたのですが、 ものすごく細かい通りなどの名前までもが書いてあって、非常にめずらしいものだったので、食事後に持って帰りました。

しばらく自宅に飾っていましたが、まだやってるんでしょうか?? 

 

6日目 フランス、自由行動。



あけて翌日。同行者のU氏と、メトロに乗り、ジョルジュ・サンクへ。
自由行動の日でした。

実は、ホテルが、ラ・デファンス地区の入り口の、ノボテル・ラ・デファンスだったため、交通機関が車しかなく、地下鉄の終着駅まで、以前は、歩いて出なければなりませんでした。

今では、近代的なビル群が立ち並び、日本の都心部と変わらない風景を見せていますが、当時はまだほとんどホテル以外の建物が無く、がらんとしていて、ちょっとさみしい感じ。
ガイドブックなどにも、このあたりは当時載っていなくて、どうなっているのか判らず、少々不安だったことを思い出します。
道そのものは非常に広く(ラ・デファンス地区)、高速道路なみのスピードで車が走っていった。6車線あり、横断歩道が一箇所しかなくて (ホテル周りに)ビジネスマンの多い、静かなホテルだったことを覚えています。


この日、ルーブル美術館と凱旋門へ行った帰りに(入館した覚えがない。多分、ルーブルは、外観だけ写真で撮って、帰ったんだと思います。それと、多分ここに行くためにいろいろ調べたのは、当時若かった私だと思う。駅名や電車でのルートなど、かなりはっきり覚えているし、ガイドブックを見ていた覚えもあるので)。初めての旅行で、ここ20年間あったことのない、トラブルにあいました。

で。最後の夜、ついに、ムーラン・ルージュの鑑賞。これは私にとっては、素晴らしい体験でした。
食事をしながらダンス・パフォーマンスを見る、いわゆる観劇なのですが。当時、多感な高校生だった私、この、ムーラン・ルージュの放つ、セクシャルでエンターテイメントなショーに、すっかり参ってしまいました。

ダンサーらは、男も女も軒並みお色気たっぷりな服装で、衣装は派手。そして舞台仕掛けも凄かった! エンターテイメント・ショー。日本人の席は結構後ろだったのですが、途中、舞台の上からだったか、 天井から巨大なクレーンが下りてきて、そこに男性ナンバーワン・ダンサーが乗っていて、歌うさまは、なんともすばらしくセクシーで。少々、強烈だったかなあ。でも、入場できる年齢制限があったと思います。撮影は禁止でした。

 

7日目 帰国。 そのとき。



バトー・ムーシュからみた、自由の女神。

当時の私は、まだ学生で、歴史を学んでいる真っ最中でした。
コレを見た瞬間、なぜ自由の女神がここにあるのか、判らず、周りの大人に聞いて、初めて知りました。

線が入っているように見えますが、バトー・ムーシュの、ガラスの継ぎ目です。

実はこれ、外に出られたようなのですが、かなり夜が更けてきて、自前のカメラでは写らない範囲に、被写体があったため、あきらめました。

人生最初の海外旅行は、こうして幕を閉じ、なんて思ったのですが。まだあった。しかも、ものすごいことが。

最初は気がつかなかったのですが、今の日本はどうなっているのかなあ、と機内でやるニュースなどを見ていたのですが、どうもおかしい。

やるニュースの全てが、帰るはずの日の、前日のものばかり。
同行していたU氏や、ほかの乗客らも、新聞などを見て、日本の状況を確認しようとし、12紙ほどあった、新聞のすべてが、昨日のもの。

乗客の中には、前日の新聞やニュースばかりで怒り出す人もいましたが、そのたびに、スチュワーデスのお姉さん方が、謝りまくっていました。
 
私はなにせ初めての海外だったので、事情が判らず、まだ新聞とか届かないのかな、とか海外だから難しいのかな、などと思い、大して気にもとめていませんでした。まあ別になくても大丈夫だろうと。同行者のU氏も特に怒り出すでもなく、無事に成田に到着。

そして、そこで初めて、迎えに来ていた私の母と祖母と出会い、あっ、初めて海外いったから、心配して迎えに来てくれたんだ、と思い込んでいた私、母と祖母がそろって、おかえりー、と言ってくれたのに気をよくして話を聞いていたら。凄いことが判りました。

この日、1985年の、夏。乗っていた飛行機は、同じ、JALでした。

帰ってきてはじめて、何故、機内の新聞やテレビニュースが、前日のものだったのかを知りました。
機内で、混乱を起こさせないための配慮。こんな経験、なかなかない。

初めての海外旅行は、海外が怖いところだという印象が残ったことと同じくらい、心に深く残っている事件です。

あれから、20年目です。
日本も世界も変わったけど。旅をして、帰るべき場所にたどりつくまでは、旅はおわりじゃない、と思った旅でした。
相変わらず、旅はすきです。たくさんの大陸を回って、素敵な旅を作りたいので。がんばってほしいです。
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