|  ついに、最終日、
自由行動の日。ここは、同行者だった、友人M嬢に(彼女がイスタンブールに行きたいと言い出したので)行動の全てを任せました。
先に、もう一度ブルーモスクへ。タクシーを拾って、いきました。ところが、なんと、都市部なのに全然、英語が通じない。
公用語がトルコ語だというのは判っていたのですが、古くからヨーロッパと交流がある場所だし、英語くらいは話せるだろうと思っていました。
全く通じなかったわけではなかったんですが、どうもおかしい。ブルーモスクって世界に浸透していると思い、タクシーに乗り込み、友人が、ブルーモスクへ行って欲しい、という、この「ブルーモスク」が、何をさすのかが、通じなかった。やりとりを聞いていて、びっくりしました。
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|  確証はなかったけど、まさかと思って。ガイドブックでみた、正式名称。スルタン・アフメッド・ジャミイ、って言わないと、通じないんじゃない? と言ってみると。
判ってくれました。オイオイ。ブルーモスクって、ナンのことか、わかんないんだ。タクシーの運転手が、これなの? じゃあ、一般の人なんて、もっとわかんないの? トルコでは英語が通じる、と思っている人も結構いるみたいですが(一般的には、英語が判るといわれているらしい)。 私たちの時は、通じなかったぞ。
発音か?(一緒に言ったM嬢は、自分で、英語は下手だと言っている。フランス語は堪能なんですが)
そう思っているうちに、到着。ついてしばらくは、すっかりそんなことは、忘れていました。楽しく観光をすませ、ではイスタンブール大学へ行こうか、ということに。もういちどタクシーに乗ろうとしたところ、あいのりで良いか、と言われました。
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| は? と思って後部座席を見ると、すでにお客が乗っている! チョット待った。この場合、あとに降りる人が全額払うんじゃないの? この、乗っている人はどこまで行くんだ? 見送った方がいいような気がする、と私が迷っていると。何を勘違いしたのか、M嬢、おかあさんと子供がいるから、大丈夫じゃない? というような事を言いだし(私が心配しているのは、金額のことだって!)、乗ってしまいました。
こ、このあと、降りるとき。お母さんと子供は乗ったままだったけど。(ひまつぶしに、車内で聴いた子供の名前が、アレクサンダーだった)でもタダノリだった気がしない。うーん。
あとで知りましたが、トルコは、タクシー、相乗りが普通だそうです(今では、ガイドブックなどにも載っていますが、当時は情報がなく、びっくりした)。 元々あまり裕福な国ではないトルコ、タクシーの利用も、国の予算があまりないために発達しなかった交通機関の代わりに、大変利用者が 多い。ですが、労働賃金なども大変安く、家庭を持った家族は、大変貧しいらしいのです。でも、食べ物は買いに行かなきゃならない。自然に、タクシーは相乗りになり、市民の間では、それが当たり前になったようです。
写真、上はイスタンブール大学。M嬢がなぜかこだわりがあり、見に行きましたが。 思ったより、コドモの数が多かった。なぜ? ここで、うらコラムで書いた、熊のオジサンに出会います。ぼられそうになり、逃げました。 |
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8日目のことですが。イスタンブールの市街を走っているときに、気になる話題がひとつ。
帰国まであと数日、という日に、もしかしたら出国できないかも知れません、と現地ガイド氏。どうやら日本でも出国前から多少、メディアで流れていた、湾岸戦争が。水曜日には開戦になりそうだ、という情報が入ったそうで。聞いていた日は、たしかその3日前、月曜日か日曜日だったと思います。
その言葉に、参加者は何故か、喜びの声。おお、仕事に行かなくてよくなるから、いい(男性陣の意見)。 女性陣も、帰れない日が延びるのには問題ないけど、お金はどうなるの? という言葉が。このあとは、ツアーが終了するので、自腹になります、との話。
じ、自腹……。食費から宿泊費から、全てということに、ちょっとそれも困るなあ、などと、「戦争」とは、縁遠い世代ばかりのこのツアー参加者が、呑気にお金のことを気にしている時。
バスの横を、後ろから、凄いスピードでジープが追い抜いていきました。3台。幌つきのジープで、幌の中には、武装した、迷彩服の兵士が何人も見えました。武器は隠すどころか、何かあったら即、使えるように、小脇に抱えている様子がはっきりみえ、ついに始まるの? という緊迫感が、一瞬、バスの中に走りました。
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| 実際には、無事に出国。出国後、バンコクに到着、給油に1時間、さらに、乗降客数の確認などで、2時間ほど、飛行機の中で待たされましたが、特に何事もなく、帰国。湾岸戦争が実際に起こったのは、この2週間後でした。あと一週間、遅く出発していたら。間違いなく帰国できなかった、ツアーでした。
この旅で得た、最大の教訓。 日本の戦争に関する情報は、他国より遅い、ということ。現地のテレビを通して、戦争の話題を知りましたが、
実際には2週間前だった、メディアの戦争関連の報道は、すでに各国の準備は整っている、というもので、どの国が(みていたものは、ヨーロッパ諸国とトルコ、イラン・イラクのものだった。英語の報道)、どのくらいの兵力をこの戦争に用意していて、やれ戦艦がいくつあるとか、どこに配備されているとか、銃の中身は何発あるだとか(兵力の話)、コワーイ話の連続に、本当に無事に帰れるんだろうか? とちょっと不安になりました。無事で何より、な旅でした。
注:文字だらけですみません。
かなり古い(1990年)のものなので、たくさん写真が残っていないのです(当時はフィルム・カメラが全盛)。
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