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□□ トルコ旅行記 1日目・2日目


■■日程■■

1日目。出発。バンコク・アテネで、いきなり、波乱。 
2・3日目、トルコ到着。そして、トロイ! ペルガモン! イズミール!
4・5日目、エフェスへ。夕方、マイルドセブンの山。
5・6日目。ついに内陸部。カッパドキア(世界遺産)へ。
7・8日目。首都・アンカラ。そしてイスタンブールへ、ひとっとび。
9・10日目。イスタンブール・自由行動。 帰国。

 7・8日目。首都・アンカラ。そしてイスタンブールへ、ひとっとび。

トルコはついに、都市部の見学。首都、アンカラへ。
アンカラはあまり写真が残されていません。というのも、次の観光地へと、ここから国内便を使った大移動になったので。
アンカラの話。ここは、見た場所はアタチュルク廟だけだったと思います。

このアタチュルク廟で。私が思っていた常識をひっくり返すような出来事が。
廟内部は、比較的、閑散としていて、かなり静かで、あんまり写真とかも撮れない雰囲気がありました。 が、ガイドが、撮って良いよ、というので。2,3枚撮りました。

きれいな廟から出てきて、ぞろぞろとバスへ戻る時。私と友人は、参加者の行列の最後にいました私は撮るつもりはなかったんですが、写真を撮ろうと言い出した友人につられ、2、3枚衛兵さんと一緒に(彼らに断って)撮って、戻ろうとしました。と。戻り始めてすぐ、突然後ろから、声をかけられました。




は? と思って振り向くと。今、一緒に写真を撮った衛兵さんが、にこにこしながら、写真、一緒に撮らない? と自分のカメラをさしだしました。びっくりして一瞬、呆然としました。私は、衛兵さんって、持ち場を離れられる存在だとは思わなかったので。しかも、自分のカメラ、持ってるってどういうこと?? 

とはいえ、友人は気づかずにスタスタ戻っていくので、慌てて引き止めて。友人も一緒に、衛兵さんの持っていたカメラに撮られました。 ほかの国でもあるんだろうか?? そんな、私の常識をぶっとばすイマドキな衛兵さんに出会い、ちょっと面白かったです。
この写真の真ん中に映っている人、多分現地ガイド氏だと思うけど、違ったか? 遅い、私たちの様子をずっと見ていたようです。 

っていうか、海外にきて、逆に写真を撮られたの、ここだけかも。


このあと、アンカラで飛行機に乗る出発時間まで、自由行動でお買い物になりました(確か。買い物は興味ないので、全然覚えていない)。

小さな商店街のようなお店がひしめき合うところで、ウインドー・ショッピングしていたとき、カイホウセキ(海泡石と書いてこう読む)、という石の小さな専門店があったんですが、ものすごい値段がついていて、さすがに引いた。私はタバコは吸わないのですが、熱で石が白から茶色に変化する、非常に珍しいもので、 トルコでは昔から、パイプなど、タバコの道具として、この石が使われています。 どんな風になるのか、見てみたかったのですが。
この時に、同じツアーにいた参加者の方とバッグ店で出くわしました。この男性参加者、トルコに入国した直後、スーツケースが別便で運ばれたらしく、紛失。

ここまで、旅行会社から、多少の補助などはありましたが、再び飛ぶということで、買おうとしたらしい。まあ、たまに海外に行くとあるらしいのですが(私はまだない)、お店でデルセイを勧められ、サムソナイトはないのか、と口論(?)になっていたところでした。
私は、当時百貨店に勤めていて、スーツケースも売ったことがあり、たまたまこの手の話題に詳しかったので、教えました。

今では、サムソナイトが日本だけのメーカーだと知っている人も多いのですが、当時はあまり知っている人がいなくて。
この参加者に、「デルセイって何? サムソナイトはないって言われたんだけど、これ大丈夫かな?」などと聞かれました。
きいた瞬間、あ、まあそんなもんよねえ、と思いつつ。 「デルセイはいいですよ。サムソナイトは、日本にしかないから」と言って、ちょっと言葉が少なかった気はしますが、オススメしました。

デルセイのスーツケースは、重くて、厚いのが特長で、それが、欧米人には昔から定評があります。理由はかなり、はっきりしています。
地が薄いと、カッターなどで簡単に切られるので、それだけ犯罪に遭いやすい。軽いと、たとえスーツケースでも、スリに遭う感覚に近いことがおこる。それと、海外の空港は基本的に、そんなに丁寧にスーツケースを扱いません。ぼんぼん、放り投げるのを見たことがある人は結構いるはず。このぼんぼん放り投げられても、割れにくいので、中身に影響が出ない。 しょっちゅう海外に行く人は、デルセイはオススメ。
私自身も売ったことがありますが、欧米の方は、デルセイしか目に入っていないです。
もともと日本ではサムソナイトが主流で、海外ものは、数が少なく、欧米の方にはよく、デルセイは? と聞かれました。 
って旅には関係ない話題が。戻ります。
で、つまりはここから飛行機でイスタンブールへひとっとび! でした。ついたのは、夜。寝るしかないでしょ。

翌朝、起きると。2つ、面白いことが待っていました。ツアーに乗らないと、味わえない。これぞ、憧れの世界! という。



イスタンブールに入る前の、空港までのバスの中で。実は、2つの予告がありました。
素敵な偶然にめぐり合う。なかなかこんな機会はないと思いますが。一つはガイド氏の奥さんが仕事を終えて来るというのと(JALのスチュワーデスでした)、もう一つ。
本当は、このアンカラでドライバーを交代するはずだったらしいのですが、ツアー客の雰囲気がとても良かったのが気に入ったらしく、最後までやる、といったそうです。

陸路を時速300キロでとばして、アンカラから、朝につけるか、という賭けがありました。

2つの話は、朝が、ちょっと楽しみでした。


で、起きて朝食をとりに行くと。2つの予告は、達成されていました。

現地ガイドさんとドライバー、それと日本人の奥様と日本人ガイドさんは、離れた席で、すでに朝食をとっていました。

写真は、ダーダネルス海峡。

奥様、美人でした。。さすが。スチュワーデス(今ってフライトアテンダント)。



実はこの旅、ガイド氏らが、思った以上にフレンドリーで、旅行のウラの部分をたくさん見られて、とても楽しかったツアーのひとつでした。

で。イスタンブールですが。ついて朝食後、観光。アナトリア文明博物館を見学後、いよいよ、ブルーモスクへ。 ブルーモスクって、堂内が、青い(ブルータイル)。
外から見て、なんか、すごい地味。と思いました。でも中は、ブルータイルの嵐! ただ。結構遠いので、撮ってもいいんですが、照明などの光が全くないので、ぜんぜん青く映らないです。 か、悲しい。 なので中の写真が、ありませーん。
でもとてもキレイでした。ハマム(風呂場)などもあり、そこもブルータイルで(しかも大理石だし)、贅沢な! と思いました。

 


表から見た、ブルーモスク。
正式名称は、「スルタン・アフメッド・ジャミイ」。スルタン・アフメッドは、人の名前で、ま、言ってみればここの城主。ジャミイはトルコ語で、城、を意味します。

内部の撮影は、可能ですが、ストロボがあっても、上手く撮れないです。ほとんどの写真は、クラーイ堂内を撮ってしまうかも。

このあと、裏手に回ると。おや、こんなに近いんだ、と思った、アヤ・ソフィアが。


ここはブルーモスクとは対照的で、赤い建物。中も外も、赤かった。こっちはかつて女性が多く出入りしていたので、装飾は、季節の花などがありキレイでした。

また、アヤ・ソフィアに抜ける、中庭には。左右にものすごくたくさんの露店が並んでました。わずか数メートルでしたが、異様に狭くて、通りにくかったのですが、ここで初めてトルコ石を目にしました。
日本で人気のある、クリアなブルーのトルコ石ではなく、ヨーロッパで人気の高い、黒い斑点が入っているトルコ石の指輪や石。欧米では、黒い模様が入っているのが人気が高く、クリアなものは、値段もつかないくらい、全く価値がないそうです(ガイド談)。


アヤ・ソフィア内部。

また、日本で言えば、護符が建物の内装に、山ほど貼り付けてあるのに近い感じの、アラビア文字が、いたるところに描かれていました。装飾の一部にしては、多すぎるかなあ。

トルコなど欧米では、これ(クリアなトルコ石)、タダ同然で売買されています。このために、現地でトルコ石を買うと、異様に安い。ばかばかしくなるくらい、安い。なんで日本であんな高額で売られているのか、理解できないくらい、安いです。

トルコ石は、現地で買うべし!タダ同然で、手に入ります。


アヤソフィア内部の、ハマム。
ハマムって、日本で言うところの、トルコ式垢擦り風呂のことですが。
この観光のあと、垢擦りにいった人がいました。これは、昔のもの。

思った以上にぴかぴかな肌になっていて、びっくり。


ほかは、イスタンブール駅や、ダーダネルス海峡などを見回ったあと、ショッピングになりました。


連れて行かれたところは、一つ目は本屋。こちらは、入ってすぐのところに、トルコ料理の本があり、 女性陣が食いついていました。今思えば、買っておけばよかった。
当時、料理作ることに全然興味なくて。

日本語版のものもあり(トルコ料理の本)、何人かは購入していました。2軒目は洋服屋。レザーの店でしたが、誰も買わなかったかな? 忘れた。その後、ホテルへ戻ったのですが。

また、 ここではなかったと思うけど(まだ旅が始まってすぐくらいに経験した気がする)。シャワーを浴びていたとき。ものすごい音がしました。
なんなの、この音? と思ってびっくりして、シャワーもそこそこに、バスルームから出ると。同室だったM嬢が、「コーラン、コーラン!」と、大興奮。
部屋への扉を開けると、その音はさらに、ものすごいものに。どこから流れてくるのか、窓を開けると、さらに大きな音。

歌、でも少し違う。今でも、思い出すと鳥肌が立ちます。音楽、でもない。
詠唱、とはこういうものをいうのか、と初めて知った瞬間でした。 

でも実は、モスクの4すみにある、尖塔から流れてくる、テープの音。あの尖塔、コーランを流す、スピーカーの役割を果たしているそうです。
普段そんなものを街中で聞くことのない私たちにとっては、まさにカルチャー・ショックでした。

この国は、とてもみどころが多い国。遺跡に始まり、自然があり、都市部でその歴史に触れ、ショッピングにも堪能でき、食事も世界三大料理のひとつといわれるだけあって、とてもおいしい。 イスタンブールは、おまけに、かなり西洋的。

道行く人たちが、アジア圏からヨーロッパ圏へはいったとたん、がらっと人種が変わりました。
白人? ギリシャ系? 黒髪に浅黒い肌、というアジア圏に比べ、 ここはヨーロッパか?? という感じが。
イスラム圏ほど、イスラム色は強くない(東部以外は)。言葉は英語だけは、難しいこともあるけど。


 9・10日目。イスタンブール・自由行動。 帰国。


ついに、最終日、 自由行動の日。ここは、同行者だった、友人M嬢に(彼女がイスタンブールに行きたいと言い出したので)行動の全てを任せました。

先に、もう一度ブルーモスクへ。タクシーを拾って、いきました。ところが、なんと、都市部なのに全然、英語が通じない。

公用語がトルコ語だというのは判っていたのですが、古くからヨーロッパと交流がある場所だし、英語くらいは話せるだろうと思っていました。

全く通じなかったわけではなかったんですが、どうもおかしい。ブルーモスクって世界に浸透していると思い、タクシーに乗り込み、友人が、ブルーモスクへ行って欲しい、という、この「ブルーモスク」が、何をさすのかが、通じなかった。やりとりを聞いていて、びっくりしました。


確証はなかったけど、まさかと思って。ガイドブックでみた、正式名称。スルタン・アフメッド・ジャミイ、って言わないと、通じないんじゃない? と言ってみると。

判ってくれました。オイオイ。ブルーモスクって、ナンのことか、わかんないんだ。タクシーの運転手が、これなの? じゃあ、一般の人なんて、もっとわかんないの? トルコでは英語が通じる、と思っている人も結構いるみたいですが(一般的には、英語が判るといわれているらしい)。 私たちの時は、通じなかったぞ。 発音か?(一緒に言ったM嬢は、自分で、英語は下手だと言っている。フランス語は堪能なんですが)

そう思っているうちに、到着。ついてしばらくは、すっかりそんなことは、忘れていました。楽しく観光をすませ、ではイスタンブール大学へ行こうか、ということに。もういちどタクシーに乗ろうとしたところ、あいのりで良いか、と言われました。

は? と思って後部座席を見ると、すでにお客が乗っている! チョット待った。この場合、あとに降りる人が全額払うんじゃないの? この、乗っている人はどこまで行くんだ? 見送った方がいいような気がする、と私が迷っていると。何を勘違いしたのか、M嬢、おかあさんと子供がいるから、大丈夫じゃない? というような事を言いだし(私が心配しているのは、金額のことだって!)、乗ってしまいました。
こ、このあと、降りるとき。お母さんと子供は乗ったままだったけど。(ひまつぶしに、車内で聴いた子供の名前が、アレクサンダーだった)でもタダノリだった気がしない。うーん。

あとで知りましたが、トルコは、タクシー、相乗りが普通だそうです(今では、ガイドブックなどにも載っていますが、当時は情報がなく、びっくりした)。
元々あまり裕福な国ではないトルコ、タクシーの利用も、国の予算があまりないために発達しなかった交通機関の代わりに、大変利用者が
多い。ですが、労働賃金なども大変安く、家庭を持った家族は、大変貧しいらしいのです。でも、食べ物は買いに行かなきゃならない。自然に、タクシーは相乗りになり、市民の間では、それが当たり前になったようです。

写真、上はイスタンブール大学。M嬢がなぜかこだわりがあり、見に行きましたが。
思ったより、コドモの数が多かった。なぜ? ここで、うらコラムで書いた、熊のオジサンに出会います。ぼられそうになり、逃げました。

8日目のことですが。イスタンブールの市街を走っているときに、気になる話題がひとつ。

帰国まであと数日、という日に、もしかしたら出国できないかも知れません、と現地ガイド氏。どうやら日本でも出国前から多少、メディアで流れていた、湾岸戦争が。水曜日には開戦になりそうだ、という情報が入ったそうで。聞いていた日は、たしかその3日前、月曜日か日曜日だったと思います。

その言葉に、参加者は何故か、喜びの声。おお、仕事に行かなくてよくなるから、いい(男性陣の意見)。
女性陣も、帰れない日が延びるのには問題ないけど、お金はどうなるの? という言葉が。このあとは、ツアーが終了するので、自腹になります、との話。

じ、自腹……。食費から宿泊費から、全てということに、ちょっとそれも困るなあ、などと、「戦争」とは、縁遠い世代ばかりのこのツアー参加者が、呑気にお金のことを気にしている時。

バスの横を、後ろから、凄いスピードでジープが追い抜いていきました。3台。幌つきのジープで、幌の中には、武装した、迷彩服の兵士が何人も見えました。武器は隠すどころか、何かあったら即、使えるように、小脇に抱えている様子がはっきりみえ、ついに始まるの? という緊迫感が、一瞬、バスの中に走りました。

実際には、無事に出国。出国後、バンコクに到着、給油に1時間、さらに、乗降客数の確認などで、2時間ほど、飛行機の中で待たされましたが、特に何事もなく、帰国。湾岸戦争が実際に起こったのは、この2週間後でした。あと一週間、遅く出発していたら。間違いなく帰国できなかった、ツアーでした。

この旅で得た、最大の教訓。

日本の戦争に関する情報は、他国より遅い、ということ。現地のテレビを通して、戦争の話題を知りましたが、 実際には2週間前だった、メディアの戦争関連の報道は、すでに各国の準備は整っている、というもので、どの国が(みていたものは、ヨーロッパ諸国とトルコ、イラン・イラクのものだった。英語の報道)、どのくらいの兵力をこの戦争に用意していて、やれ戦艦がいくつあるとか、どこに配備されているとか、銃の中身は何発あるだとか(兵力の話)、コワーイ話の連続に、本当に無事に帰れるんだろうか? とちょっと不安になりました。無事で何より、な旅でした。


注:文字だらけですみません。 かなり古い(1990年)のものなので、たくさん写真が残っていないのです(当時はフィルム・カメラが全盛)。

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